日輪の遺産:佐々部清監督 映画完成まで4年 日本が「未来に向かうためのビタミン剤になる」

映画「日輪の遺産」について語った佐々部清監督
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映画「日輪の遺産」について語った佐々部清監督

 「鉄道員」「地下鉄に乗って」など数々の名作を世に送り出し、多くの著書が映画化されている作家の浅田次郎さんが93年に発表した「日輪の遺産」が、「半落ち」「出口のない海」などで知られる佐々部清監督によって映画化され、27日に公開された。「映画監督になったときから、いつか浅田先生の作品がやれればという夢があった」という佐々部監督に話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 「日輪の遺産」は1945年の終戦前夜の日本が舞台。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーから奪取した財宝。現在の貨幣価値にすると200兆円ものその財宝を隠匿せよとの密命を受けた3人の軍人たちと、その作業に駆り出された20人の少女たちの姿を描いたヒューマンドラマだ。3人の軍人を演じるのは堺雅人さん、中村獅童さん、福士誠治さん。20人の少女たちの1人に実写ドラマ「ちびまる子ちゃん」に主演した森迫永依さん、少女たちの先生役にユースケ・サンタマリアさんがふんしている。さらに八千草薫さんが、森迫さんの六十余年後を演じ、作品に厚みをもたらした。

 初期の作品以外のほとんどを読んでいたほど「浅田先生の大ファンだった」という佐々部監督にとって、今回のオファーは願ってもないものだった。しかし同時に、原作を読み、「難しいのがきたなと思った」とも話す。それでも「難しいからこそやりがいがある」と製作に踏み出したものの、そこから完成までに4年もかかった。理由は、資金集めだった。当初、青島武さんによって書かれた脚本は映画にすると3時間にもなり、製作費はざっと見積もって7億~8億円。それほどの大金を気前よく出してくれる映画会社はなかった。そこでさらに2年かけ、その半分ほどの当初の予算に合わせた脚本にするため手直ししていった。

 その脚本作りの際、佐々部監督と青島さんが念頭に置いたのは、「『ひめゆりの塔』のような、少女たちの悲劇の物語にはしない」ということだった。「それを軸にすると、女性客を泣かせる映画作りは簡単だけれど、そういう後味の映画には絶対したくなかった」と語る。さらに、原作にあった「国生みの伝説」というフレーズを意識した。「おそらくタイトルの『遺産』には、マッカーサーの遺産の意味はもちろんかかっていますが、心の遺産という意味もあったでしょう。リーマン・ショック以降、日本経済が疲弊している今だからこそ、国が生まれ変わり、もう一度頑張ろうという映画にしたいと考えました」と明かす。

 資金集めと脚本作りに費やした4年は、キャスティングにも少なからず影響を与えた。「4年もあると、いろんな人をパズルのようにハメ替えたりする必要があった」と当時を振り返るが、監督がこだわり続けたのは、03年の自身の監督作「チルソクの夏」に出演した福士さんだった。「どんどんスターになっていく彼と、いつかもう一度仕事をしたかった。若手で軍人が似合う俳優はなかなかいないが、福士は似合うので、彼はどうしても入れたかった」と熱く語る。

 他にこだわったのは、「あの時代をリアルに生きていた」八千草さんと、数年前NHKのドキュメンタリードラマで偶然見かけた森迫さん。堺さん、中村さん、ユースケさんはそれぞれ、彼らを劇場に見にくる人をある種、裏切りたいとの思いから演出していった。例えば、「丸刈りからして裏切り」の堺さんは、「あの笑顔を生かし、揺れ動く男」を、戦争映画では声の大きい、性格のキツい軍人を演じることが多い中村さんは、「しつこいというくらいおとなしく」といった具合だ。ユースケさんに至っては、バラエティー番組の先生役でしか知らない彼を「どうやって(先生役に)運べばいいのだろうと悩んだ」そうだが、台本の読み合わせとリハーサルを重ねる中で、ユースケさんだからこその教師像を作っていった。

 映画の終盤には、八千草さんが米軍施設を訪れ、ほこらの前で花を手向ける場面がある。そこは今作の要のシーンで、佐々部監督も「あそこは監督の勝負どころだった」と打ち明ける。「あそこで観客から笑いが起きたり、引かれちゃうと、映画としては失敗」と感じた。そうならないために、通常の編集では映像はどんどん切っていくものだが、そのシーンに限ってはどんどん伸ばしていったという。「足す映像がもうないといわれ、なかったらさっき使った八千草さんの顔をもう一度入れろというくらい伸ばしました。それくらい伸ばして伸ばして、あとは音楽を付ければうまくいくと覚悟がいって、あの長さになりました」という。その覚悟の裏には「あそこで八千草さんは、子どもたちと野口先生の言葉で救われる。子どもたちも全員笑顔。そうしないと未来につながる映画にならない」との思いがあった。

 今作が完成したのは昨年の夏。公開を待つ間に東日本大震災と福島第1原発の事故に見舞われた。作っているときは「まさかそんなことが起こるとは予想していなかった」が、こういう状況だからこそこの映画は、「日本という国が一つにまとまって、未来に向かっていくためのビタミン剤になるような気がする」と話す。そして「本当は国のリーダーたちに見てほしい」としながら、「まずはみなさんが、何をすべきか、何を考えるべきかを心にとめながら、この『日輪の遺産』という映画を感じてもらえたらうれしいです。ぜひ劇場で、大きなスクリーンで見てください」と締めくくった。

 <プロフィル>

 1958年山口県出身。明治大学文学部演劇科、横浜放送映画専門学校(現・日本映画大学)をへて、84年から映画やテレビドラマの助監督となる。降旗康男監督作「鉄道員」(99年)、や「ホタル」(01年)などで助監督を務め、02年の「陽はまた昇る」で映画監督デビュー。以降、「チルソクの夏」(03年)、日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作「半落ち」(04年)、「出口のない海」(06年)、「夕凪の街 桜の国」(07年)などを制作。今作「日輪の遺産」は10作目の監督作。堺雅人さん、宮崎あおいさん出演の「ツレがうつになりまして。」の公開を10月に控える。

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