森田芳光さん死去:告別式 黒木瞳「最期まで憎い演出」と涙の弔辞 織田、木梨ら参列

弔辞を述べた黒木瞳さん
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弔辞を述べた黒木瞳さん

 20日に急性肝不全のため、61歳で亡くなった映画監督の森田芳光さんの告別式が24日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、織田裕二さん、黒木瞳さん、三田佳子さん、木梨憲武さん、由紀さおりさん、石田純一さん、北川景子さんら芸能人や根岸吉太郎監督、SABU監督ら監督仲間が訪れた。黒木さんは弔辞で「こんなに悲しいクリスマスプレゼントを持ってくるなんて、監督、最期まで憎い演出です。今日はあなたのために泣かせてください」と涙ながらにメッセージを送った。

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 ひつぎの中には有馬記念で森田さんが勝ったので、今回も買うだろうと、監督事務の小谷徹さんが買ったヒルノダムールの馬券1000円分、大好きだったという大判のみかんガム1個、持ち歩いていたセカンドバッグの中に入っていたパチンコ玉、東宝の島谷能成社長から贈られたというダンヒルのワイシャツの生地、「の・ようなもの」「模倣犯」「海猫」「間宮兄弟」「椿三十郎」など、森田さんの手がけた作品のチラシやパンフレット、遺作となった12年3月24日公開の映画「僕達急行 A列車で行こう」のプレスなども森田組の手によって入れられた。23日の通夜の参列者と24日の告別式で集まった監督へのメッセージも一緒に入れられた。

 弔辞は、黒木さん、アスミック・エースの原正人さん、三田さんが読み上げ、原さんは「今ここにこうして立って、花に囲まれた君を見ても、まだ信じられません。『これ(「の・ようなもの」の配給)を引き受けていただけなければ、新しい映画監督の目をつぶすことになりますよ』と言われて、やるやる、と思わずいった」とエピソードを話し、「森田、早すぎるよ、悔しい」とつぶやいた。三田さんは「どうしてこんな切り裂くような別れを強いるのですか」と悲しみ、「(新作を見に)劇場にまいります。多くのファンの人たちに、会いにいらしてね。待ってます。絶対の理解者の和子夫人を見守ってあげてください」と森田さんに呼びかけた。

 告別式では、森田さんが映画の打ち上げでよく流したというサザンオールスターズの「真夏の果実」が流された。監督作品のプロデューサーも務めた喪主で妻の和子さんは言葉を詰まらせながら「これから10年20年、人間は年をとって人間というものが分かってこそいい映画が撮れると希望と意欲を燃やしていた。どれほど無念なのかと思うと、私も痛恨の極みでございます」と悲しみながら、「(森田さんは)素晴らしい人と次々出会って、自分ほど幸せな人もいないと言っていた。映画関係の皆様、森田の気持ちをくんで、もっともっと日本の映画を素晴らしいものになるように、思いを引き継いでほしいと思います」と参列者に呼びかけた。森田さんが好きだったというジャズ「A列車で行こう」をBGMに出棺した。

 森田監督は東京都出身。日本大芸術学部出身で、自主製作の「ライブイン茅ヶ崎」(78年)が評価され、コメディー「の・ようなもの」(81年)で商業映画デビュー。松田優作さんが風変わりな家庭教師を演じた映画「家族ゲーム」(83年)で監督としての名声を確立。その後は夏目漱石の名作に挑みキネマ旬報ベストワンになった「それから」(85年)、とんねるずを起用したコメディー「そろばんずく」(86年)など多彩なジャンルの作品を手掛け、,エンターテインメント作家としての手腕を磨いた。渡辺淳一さん原作の「失楽園」(97年)、向田邦子のドラマをリメークした「阿修羅のごとく」(03年)、黒澤明監督の名作を同じ脚本で再映画化した時代劇「椿三十郎」(07年)、ベストセラーが原作の「武士の家計簿」(10年)など、精力的に作品を発表し続けた。12年3月公開の「僕達急行 A列車で行こう」が遺作となる。(毎日新聞デジタル)

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