あのクズを殴ってやりたいんだ
第5話 あのクズの告白
11月5日(火)放送分
白石萌音さん、深津絵里さん、川栄李奈さん主演のNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」(総合、月~土曜午前8時ほか)に、名物ラジオパーソナリティー・磯村吟役で出演している浜村淳さん。実際に、関西ローカルのラジオ番組「ありがとう浜村淳です」(MBS、月~土曜午前8~10時)に48年間、ほぼ休みなく出演している浜村さんに、冠ラジオ番組の歴史や、ラジオの魅力などについて聞いた。
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時事ネタからゲストトーク、“名調子”で聴かせる映画解説で、関西人にはすっかりおなじみとなっている「ありがとう浜村淳です」。番組がここまで長く続いた理由について、浜村さん自身は「他にやりたがる人がいなかっただけ」と笑う。
「最初は1年か2年という話だったんですが、代わりの人がいないもんですから、気がついたらこんなに長くやっていました。というのも番組の準備のために、毎朝4時半には起きなければいけないので、たいていの芸能人は嫌がるんです(笑い)。だから飲み会があっても、2次会には行かないですね。断るのはすごくやりにくいんですけど、それが今まで休まずに続けられた理由の一つかもしれません」と語る。
浜村さんと言えば、「さ」と「み」にアクセントが付いた「さて、みなさん」という、独特のイントネーションのあいさつが耳に残る。「カムカムエヴリバディ」にも出てきたこの名フレーズは、実は「ものまねのものまね」から生まれたものだった。
「大平サブローさんという、ものまねが大変得意な芸人さんがいらっしゃるんですが、その人が僕のものまねをする時に、あの口調で『さて、みなさん』と言うんです。それが面白いなあと思って、そのものまねを僕がまねしました。本当はあんなふうに、僕は言ってなかったと思うんですけど(笑い)、それがきっかけで定着しましたね」と“名調子”の誕生秘話を明かす。
50年近く番組を続けていると、当然、数多くのハプニングが起こり、エピソードも数え切れない。中でも浜村さんが忘れがたい思い出は、アラン・ドロンとソフィア・ローレンという、伝説の“銀幕スター”2人との思い出だという。
「アラン・ドロンは僕と同い年で、『あなたの映画にさまざまな影響を受けました』という話をしたら、えらい喜んでくれまして。『君が今かけている眼鏡のフレームは、君の顔に似合わない。僕は眼鏡のフレームを作る会社を経営しているから、すぐ似合うフレームを送るよ』と言って、秘書に『この方の住所を絶対に聞いておいてくれ』と念押しまでしてくれたんです。あれから20年。何も送ってきません(笑い)」と、見事なオチを付けて語る。
「ソフィア・ローレンは、テレビ番組の収録で隣の席になったんですが、彼女が胸元に深い切れ込みのあるドレスを着ていたので、私が胸元をのぞき込んだんですよ。そうしたら『立ちなさい!』と言われて。スタジオはシーンと凍りつくし、私も失礼なことをしたと思いながら、直立不動で立ち上がりました。するとローレンが言うんです。『立ったらもっとよく見えるでしょう?』って(笑い)」と、大スターの粋な一面を明かす。
浜村さんは、人生のほとんどを、ラジオの歴史とともに歩んできたといえる。その未来に対しては、心配と安心の両方が入り混じった感情を持っている。
「生放送をアドリブでやるのは、すごく頭を使うし、しんどいんですよ。しかもラジオパーソナリティーは、森羅万象いろんな話題を扱わないといけないから、若い人は嫌がるんです。だから、そのうちなくなる職業じゃないかと思っています。でも一方で、テレビとラジオで同じ(商品の)CMをしても、ラジオの方がよく売れることがたびたびあります。というのも、テレビは決まった原稿をキチンと読むだけですけど、ラジオはアドリブを入れていろんなことをしゃべるから、その分、説得力が強くなるんです。テレビはメディアの世界、ラジオは説得の世界。そういう意味ではね、ラジオはまだまだ残るだろうと思います」と展望を語る。
現在は「radiko」などのメディアの発達で、浜村さんの番組を全国で聴くことが可能になり、実際に関西以外のエリアのリスナーからも、番組に声が届く機会が増えたという。
浜村さんは、そんな全国のリスナーに対して、「地元の放送局がいくつもあるのに、わざわざ大阪の放送局の番組を聞いていただくことは、とてもうれしいです。これからもますます分かりやすく、ますます面白くてためになり、そして『聴いてよかったなあ』と思ってもらえる番組を、続けていきたいと思いますので、うちの放送も、地元の放送も、併せて聴いていただきたいと思います」とメッセージを送った。