ダンダダン
第6話「ヤベー女がきた」
11月7日(木)放送分
アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛役、「北斗の拳」のラオウ役などで知られる故・内海賢二さんの声優としての偉業を追うドキュメンタリー映画「その声のあなたへ」(榊原有佑監督)。映画の中で、声優の野沢雅子さんが賢二さんのことを「すっごい優しい」「スタジオの雰囲気をよくしてくれるんです」とうれしそうに話していたのが印象的だった。ほかの共演者も「温かい」「繊細」「謙虚」などと語り、賢二さんの優しさが伝わってくる。賢二さんの息子で、賢二さんと妻で声優の野村道子さんが設立した声優事務所「賢プロダクション」の代表取締役を務める内海賢太郎さんに、声優業界を牽引(けんいん)してきた“名優”の素顔について語ってもらった。
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賢二さんは、東映動画(現東映アニメーション)の初のテレビアニメで、1963年に放送された「狼少年ケン」でアニメデビュー。声優という職業が一般化する以前から活躍し、1984年に賢プロダクションを設立する。2013年6月に亡くなった。妻の野村道子さんは「サザエさん」の磯野ワカメ役、「ドラえもん」の源静香(しずかちゃん)役などで知られている。
映画は、賢二さんを生前からよく知る声優、関係者の証言を通して、賢二さんの仕事、声優という職業の変遷をたどる。野沢雅子さん、神谷明さん、戸田恵子さん、柴田秀勝さん、羽佐間道夫さん、かないみかさん、谷山紀章さん、浪川大輔さん、水樹奈々さん、山寺宏一さん、逢田梨香子さん、伊藤昌弘さん、杉山里穂さん、和氣あず未さんらが登場する。
「すっごく優しい」という賢二さんだが、“父”としてはどんな人だったのだろうか?
「小さい頃、悪さをすれば、あの声で怒られて、怖かった思い出はありますが、そんなにガミガミ言うタイプじゃなかったです。低い声から高い声まで使い分けていましたが、子供に話す時は高めのトーンでしたね。父は3歳の時に両親を亡くしているので、親との思い出がありません。親としてどう接すればいいのか?と試行錯誤していたのかもしれません。子供ながらに気を遣ってるようにも感じていました。外ではサービス精神旺盛だったようですが、家は素に戻れる場所ですし、そんなにベラベラとはしゃべりませんでした。僕は一人息子なので、いろいろ心配も掛けましたが、温かく見守ってもらっていました」
1980年代は「内海賢二の声を聞かない日はない」とも言われるほど多忙だったが、家族との時間を大切にしていた。
「舞台のけいこがあれば、深夜になりますし、1980年代はとても忙しかったので、僕が小学校から帰ってくると家にはほとんどいませんでした。でも、僕が小学生の時、登校する朝7時くらいになると、家から駅まで自転車で送ってくれていたんです。大体10分くらいですかね。自転車で商店街を通るんですけど、いろいろなお店の人に『おはよう!』『賢太郎をよろしく!』と声を掛けるんです。下校の時は僕一人ですが、お店の人が『おかえり!』と声を掛けてくれて、そのことをすごくよく覚えています。父はお酒が好きだったので、朝まで飲んでいる日もあったと思いますが、嫌な顔をせずに自転車で送ってくれていました。ホッとする時間でした。父と母は『育児は時間じゃない』とも言っていましたが、長い時間、一緒にいることが全てではないんですよね。一緒にいる時間にどれだけ愛情を注ぐかが大切で、大人になってそのことに気付きました」
賢二さんは「自慢の父」だった。反抗することも「あまりなかった」という。
「『Dr.スランプ アラレちゃん』の時、『お前の父ちゃんもスケベなのか?』と言われたり、母が『ドラえもん』のしずかちゃんを演じているから『お風呂が好きなんだろ?』と言われたりもしましたが(笑い)。でも、からかわれたりすることはなかったですね。子供の頃、学校のみんなから『すごいんだね!』と言われていました。中学生、高校生になっても、親に反抗したこともありませんでした」
前述のように、賢二さんは3歳の時に両親を亡くしている。住み込みで働きながら中学、高校に通うなど苦労もしてきた。映画では、そんな過去についても語られる。
「生前に、出版社から自伝の話をいただいたこともありましたが、『たいした人生じゃないので』と断っていました。過去を語るのがいやだったのかもしれません。苦労話はたくさんあるようですが、本人からは聞かされていません。映画を通して、父の兄に会った時、初めて、父の子供の頃の話を聞きました。もしかしたらコンプレックスだったのかもしれないですし、武勇伝のように語るタイプではなかったので。自分が幼少期につらい思いをしたので、子供や妻にそんな思いをさせたくないという気持ちがあったんだと思います」
両親は人気声優ではあるが、賢太郎さんは同じ道には進まなかった。
「例えばアスリート同士の子供は、アスリートになることもありますよね。声優の子供が声優になることもありますし。僕の場合、小学校の時、父に原稿を渡され、せりふを読んだことがあったんです。読んでみたら『もし役者になろうと思うなら、やめておけ』と言われました。やりたいと思っていなかったんですけどね(笑い)。否定されたんで、やるわけないじゃん!となったんです。今、考えると、同じ道に進んだら、両親が壁、比較対象にもなるし、苦労することを見越して、そう言ったのかな?とも思います。僕が高校生、大学生の時も『どうするんだ?』と聞かれていましたし、将来のことを心配してくれていました。ただ、父、母から『賢プロを継いでほしい』とは一度も言われていません。僕から『継ぎたい』と言ったこともありません。ある事件があって、賢プロに入ることを決意したんです」
“事件”とは映画でも語られているが、賢プロダクションのスタッフが流出した分裂騒動だ。事務所がピンチになり、賢太郎さんが仕事を手伝うことになった。
「僕が大学4年生くらいの時でした。音楽関係の仕事に就きたかったんですけど、ピンチだったので、手伝うしかない……とアルバイトで入りました。一回入ったら辞められないですし、悩みましたが、親が苦しんでいる姿を見て、手伝わないわけにはいかなかった。普段は弱みを見せない父が号泣した姿を見て、あの強い父が……とショックだったんです。僕は正直、声優やアニメ関連の仕事をするつもりはなかったので、あの事件がなければ、この仕事をしていないと思います。大変でしたが、母は『何があっても大丈夫』『これからまた悪いことが起きてもよくなるから』とすごくポジティブでした。当時はまだ『ドラえもん』『サザエさん』にも出演していた時期なので大変だったと思うのですが」
声優業界で仕事をする中で、父の偉大さを再認識することになる。
「僕が業界に入ったら、皆さんから『お前があの賢太郎か』『お前の話をよく聞いていた』と言っていただいて、すごく可愛がっていただきました。『お前の親父にお世話になったんだよ』『内海さんによくしてもらった』『できることがあれば言ってくれ』とも言っていただけました。今回の映画の撮影に立ち会った時も皆さんがすごく楽しそうに父についてお話しているんです。亡くなってから父の偉大さが分かることも多いです。感謝しかありません」
賢二さんが亡くなってから約9年たった。バラエティー番組で声優を見る機会が増えるなど声優人気がさらに加速した。
「声優はメインストリームではなく、裏方であるという意識を持っている人も多かったのですが、いつからか声優という職業自体が一般的に認知され始めています。声優がどんどんフィーチャーされているのは、業界としてはとてもいいことだと思います。ただ一過性のものにはしたくありません。それに、この映画でも言っていますが、声優は声の表現の職人なので、それを大切にしないといけません。将来的に、声優業界はもっともっと成長していけると思いますし、僕は継承してきたものを下の世代に伝えていくことが重要だと思っています」
「その声のあなたへ」は「下の世代に伝えるべきこと」がたくさん込められている。賢二さんが残してきたものはあまりにも大きい。次の世代、さらにその先にも継承されていくはずだ。
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2024年11月09日 10:00時点
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