黒川文雄のサブカル黙示録:ゲームクリエーターのチルドレンたち

 3月11日の東日本大震災の津波で起きた福島原発事故の動向が、ニュースで毎日報じられている。人生の半分以上を過ごした私などは、ある種の諦観を持てるが、一方で残される子孫のことを考えてしまうのは親として当然のことだ。プルトニウムの半減期となる2万年は、人類が存続しているかどうかすらわからないレベルの時間。それでも、親から何かを受け継いだ我々は、この厳しい現実を後世に委ねるしか選択肢はない。

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 エンタメの世界でも、その何かが「親」から「子」に継がれるように広がっていく。テレビゲームでいえば、任天堂をはじめ、スクウェアやエニックス(現スクウェア・エニックス)などのRPG系の作り手から、継承者が生まれ、花粉が飛散するように広がり、多くのコンテンツを生み出した。格闘ゲームもしかり。カプコンの「ストリートファイター」を原点に数多くの格闘ゲームが生まれた。セガの「バーチャファイター」やナムコ(現バンダイナムコゲームス)の「鉄拳」もその系譜に当たる。

 このように多くのコンテンツが引き継がれ、その完成度は高まった。人は死して灰になるが、ゲームなどのコンテンツは形が残る。そのナレッジ(知識)やテクノロジーを引き継ぎ、改善することでさらに新しいものを生み出すプラスのスパライルを構築できた。

 活躍中のクリエーターたちの中には、この「親子」関係を認めない人もいるだろうが、私にいわせれば「チルドレン」であることは間違いない。私自身も、ギャガという映画配給会社での経験が現在までの仕事に至るオリジナリティーになっている。そのためギャガの創業者であった藤村哲哉氏が私の師匠であり、この世界における父と言えるから、藤村チルドレンだろう。

 しかし、最近はチルドレンたちの図式もやや変化を遂げている。かつてテレビゲームというフィールドに限定されたが、ソーシャル系など活動領域が拡張しているからだ。欧米人や中国人に比べて、内向的で社交性が低いとされる島国育ちの日本人に、ソーシャルといわれてもピンとこないのは私だけではないだろう。個人的にはソーシャルとは、人間関係を消費する「ゴッコ遊び」に過ぎないと思う。だがその「ゴッコ遊び」を演出するのが、ゲームクリエーターのチルドレンたちだ。

 そして親の世代の良しあしひっくるめ、すべては次世代のチルドレンたちに受け継がれ、評価は後世に委ねられる。だが、少なくとも新しい何かを提供し、それをさらに発展できるようにする。それがチルドレンたちにできる我々の責任なのではないかと思う。すべての親は子供に対して、次の世代のために、すべては世界の幸せのために……という気持ちを忘れてはならない。

 ◇著者プロフィル

くろかわ・ふみお=1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』」(http://blog.livedoor.jp/kurokawa_fumio/)も更新中。

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