乙葉しおりの朗読倶楽部:第35回 野坂昭如「火垂るの墓」 映像とは異なる迫力

「火垂るの墓」作・野坂昭如(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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「火垂るの墓」作・野坂昭如(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが「朗読倶楽部」の活動報告と名作を紹介する「乙葉しおりの朗読倶楽部」。第35回は、野坂昭如さんの「火垂るの墓」だ。

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 皆さんこんにちは、乙葉しおりです。

 8月ももう終わりですね。

 夏休みの宿題は、もう終わりましたか?

 実は私はこの後、朗読倶楽部の部室で宿題をするため出かける予定なんです。

 ……と言っても自分の宿題ではなくて、ピンチに陥っている部長さんの応援なんですけれど……。

 さて、8月27日は宮沢賢治さんのお誕生日です。

 1896年、現在の岩手県花巻市で生まれた宮沢賢治さんは、裕福な質屋の長男でしたが、生活費を工面するために家財を質入れする貧しい農家の現状を見て育ちました。

 成人後に農業指導に力を入れたことや、作品の中に現れる自己犠牲精神の原点は、この幼少時の環境にあったのではないかと言われています。

 以後、農業の道に進むことを決意し、1915年には盛岡高等農林学校に1年浪人しながら首席入学を果たします。

 1918年に胸の痛みを訴え、胸膜炎(きょうまくえん)にかかって病院の診察を受けていますが、これはがんや結核、肺炎などによって起こされる病気で、当時の医学では根治の不可能な「死の病」の宣告に等しいものでした。

 この直後から童話の創作を本格的に始めたと言われていますが、同時に級友だった河本義行さんに「自分の命もあと15年はあるまい」と語り、その予言が的中するかのように15年後の1933年、肺炎によって37歳の生涯を終えられたのです……。

 才能にあふれ、貧しい人たちのために尽力し、物語や心象スケッチを通じて人間の心のありようを訴え続けた宮沢賢治さん……生きていれば発表していただろう作品を通じて、もっともっと、たくさんのことを教わりたかったと、私は思ってしまうのです……。

 ではここで朗読倶楽部のお話、「初めての夏合宿」5回目です。

 私の特訓内容は「校庭での朗読」。

 なんとか読み終わって録音した音声を確認したところ、全然声が出ていない事実にぼうぜんとした私でしたけど、炎天下でずっと練習を続けては倒れてしまう……ということで、クールダウン休憩を兼ねて、部長さんとみかえさんの特訓を見学させてもらうことになりました。

 みかえさんの早口言葉の特訓は、はじめのうちは一言一句をかみしめるようなスピードで、早口言葉というよりも詩や俳句を聞いているように感じられました。

 それでも、地道に同じ言葉の朗読を繰り返すことで、少しずつではあるものの確実に早くなっていくのは、録音データを聞くまでもなく分かります。

 一方、部長さんの特訓課題「舞姫」は、漢字の多さもさることながら、普段使うことのない文語体の発音が分からず、二重の苦戦を強いられていました。

 間違えるたび、先生が正しい読みと発音を指摘しますが、それはあくまで最初の一回だけ。

 同じ間違いをしたときは間違いのみ指摘して、どう直すべきかを言わなくなるので、部長さんが忘れてしまうと、同じ場所を何度も読み直すことになりますが、それでも少しずつ間違いの数は減っていきます。

 こうして、2人が確実に上達していく様子を目の当たりにした私は、失敗で意気消沈していたことも忘れて、「私も頑張らないと!」という気持ちが強く燃え上がってくるのを感じていたのです。

 ……と、いうところで、今回はここまでです。

 夏合宿のお話は次回で終わりますので、最後までよろしくお願いします(*^^*)

■しおりの本の小道 野坂昭如「火垂るの墓」

 こんにちは、今回は野坂昭如さんの「火垂るの墓」をご紹介します。

 太平洋戦争末期、終戦前後を生きた兄妹を描いたこのお話は、発表された1967年の直木賞を受賞し、以降、漫画、映画、ドラマなどさまざまな媒体で展開され、戦争が起こす悲惨な現実を伝え続けてきました。

 終戦直後の省線三ノ宮駅構内。

 柱にもたれかかり、衰弱しきって立ち上がることもできない一人の少年。

 周りには同じ境遇……帰る家も家族もない……戦災孤児たちが何人もいて、皆いずれ同じ運命をたどるであろうことは通行人の誰の目にも明らかでした。

 1945年9月21日、彼は今日が何月何日かさえもわからないまま、亡くなりました。

 皮肉にも、「戦災孤児等保護対策要綱」が発表された翌日のことです。

 彼は、どうしてこんな最期を迎えなければならなかったのでしょうか?

 物語は、彼が亡くなる数カ月前にさかのぼります。

 14歳の清太さんとその妹でまだ4歳の節子さんは、6月5日の神戸大空襲で母親と家を失いました。

 行き場をなくした2人は、西宮に住む親戚の家に避難します。

 最初は2人の持参した食料などに気をよくしていた親戚でしたが、戦争末期の物資不足などもあって、すぐに疎まれる存在になっていました。

 兄妹はほどなく家を出て、2人で生きることを決断するのですが……。

 映画やドラマなどの長編作品として映像化されたこのお話ですが、原作となる小説は思いのほか短いページ数でまとめられています。

 でも、比喩や装飾を極力排した、畳み掛けるような情景描写は、映像とはまた異なる迫力と何かを訴えかけてきます。

 これは野坂さんが実際に神戸大空襲に遭い、妹さんを栄養失調で亡くされた体験をもとに執筆されているためで、映像作品で既に見たという方も、ぜひ一度読んでみてほしい一冊なんです……。

 ※本コラムをしおりさんが朗読する「乙葉しおりの朗読倶楽部」がiPhoneアプリ「朗読少女」のコンテンツとして配信が始まりました。1話約20分で250円。 

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