黒川文雄のサブカル黙示録:「バーチャファイター」の魂を

 対戦格闘ゲームの歴史を変えたゲーム「バ−チャファイター」が導入されたのが1993年12月。早いもので、あれから20年の月日が流れました。当時、セガに在職していた私はもちろんのこと、ゲームに触れたそのときに感じるキャラクターの息遣いや、ポリゴンで形成されたキャラクターにリアルな躍動感を感じました。そんな節目の時期となる昨年末に、ゲームの生みの親で、元セガ・AM2研部長だった鈴木裕さんと話す機会がありました。私も宣伝や販売促進を担当して一緒に仕事に取り組んだ仲です。

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 1960~70年代などのカルチャーなどに見て取れるように、90年代前半のゲーム業界を振り返ると、プロダクト(製品)やクリエーターの目線は未来を見すえていました。「バーチャファイター」は当時、アーケードでブームとなっていた対戦格闘ゲーム「ストリートファイター2」に対抗して研究されたもので、当時はゲーム基板のスペック(性能)も十分ではないため、キャラクターのポリゴン数を減らしたり、プログラムでさまざまな試行錯誤があったそうです。少人数で短期間という制作環境の中で伝説の名作は生まれ、誕生後のヒットはご存じの通りです。

 「バーチャファイター」の宣伝を担当した私も、さまざまな工夫を凝らしました。ゲーム内の「技」の入力方法を徐々に公開することもそうですが、当時は引き抜きを恐れてご法度だった開発クリエーターの実名を公開し、取材を入れました。ゲーム内に広告的要素を取り入れたのもそうです。これらは、映画の宣伝要素を持ち込んだもので、当時は「前例がない」と周囲から反対にあったりもして大変だったのですが、現在はすっかり定着している手法です。

 いまや専門誌やネットゲームサイトを見ても当たり前のように開発クリエーターが登場して、開発コンセプトや楽しみ方を語っていますが、20年前とあまり変わっていないのが気になります。似たような記事の繰り返しで、斬新な視点の企画も、毒舌な記事もなく、意外性もないから読者の驚きも少ない。つまり面白みや、斬新さに欠けているように思えます。エンタメなのにワクワクする話が少ないのはなぜでしょうか。

 そんな中で1月の深夜番組に登場したセガの名越稔洋さんの存在感は際立っていました。作品を売るためにまず自ら作品と同化する。彼のように、やるならばここまで徹底してやってほしいと思います。個人的には、ルーティンワークでリリースを出したり、CMを打つだけの宣伝マン、広報マンは不要だと思います。鈴木さんが必死の覚悟で「バーチャファイター」を生み出したように、開発者はもちろんですが、宣伝、広報マンも同じように、“魂”で販売促進の企画を考え、のちの業界基準となるようなアイデアを生み出してほしいと思うのです。

 ◇著者プロフィル

くろかわ・ふみお 1960年生まれ、東京都出身。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDE、にてゲームソフトビジネス、デックス、NHNJapanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。黒川塾主宰。現在はインディーズゲーム「モンケン」を制作中。

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