6月24日に公開された最新作「ベイビー・ブローカー」で、自身初となる韓国映画を手がけた是枝裕和監督。本作でソン・ガンホさんが第75回カンヌ映画祭で韓国人俳優初の最優秀男優賞を受賞する快挙を果たしたが、是枝監督は「カンヌでは、韓国映画の勢いや存在感の強さをはっきりと感じた」と告白する。是枝監督は、なぜ韓国映画に挑戦したのか。そして本作の撮影を通して感じた、韓国映画のパワーの秘密や、日本映画界に抱く危機感、見えてきた課題について語った。
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今作は、赤ちゃんポストに預けられた赤ん坊をこっそりと連れ去るベイビー・ブローカーのサンヒョン(ガンホさん)とドンス(カン・ドンウォンさん)、そして思い直して戻ってきた赤ん坊の母親ソヨン(イ・ジウンさん)が、赤ん坊の養父母探しの旅を通して、特別な絆を育んでいく姿を描く人間ドラマ。
是枝監督のもとに、韓国映画界を代表するスタッフ、キャストが集まったが、各国の映画祭で顔を合わせていたガンホさんやドンウォンさん、「空気人形」(2009年公開)の出演後「また必ず」と再タッグを誓っていたぺ・ドゥナさんと会話を重ねる中で、「いつか一緒に映画を作ろう」という話になったことが企画の始まりだという。人気俳優の揃い踏みに、是枝監督は「この3人がよく揃ったよね。奇跡的なこと」とうれしそうににっこり。「カン・ドンウォンが『やるならば、こういう制作会社があるよ』と紹介してくれたり、3人が揃うためには『これくらいの時期がいい』など、彼らの一つ一つの提案がものすごく具体的だった。それがなかったら、多分無理だったと思う」と映画化に向けて、俳優陣が前のめりになって可能性を探ってくれたという。
それだけ俳優たちも是枝監督との仕事を熱望していたということだが、3人の才能に惚れ込んでいる監督も、相思相愛の思いを打ち明ける。
赤ちゃんポストをめぐる物語をいつか作ってみたいと思っていたという是枝監督。「『ソン・ガンホが、ボックスに預けられた赤ちゃんを抱いて、笑顔で話しかけながら、翌日にはその赤ちゃんを売ってしまう』という話を思いついて。ソン・ガンホは、陰と陽、正と邪、聖と俗といった二面性を表現できるのが大きな魅力。その魅力を引き出したいなという考えから、そのシーンを思いついた」とのこと。「『殺人の追憶』でもあれだけシリアスな話なのに、彼が出てくるとどこかおかしみがにじみ出てくる。『シークレット・サンシャイン』もとても重たい映画なんだけれど、彼の存在が救いになる。まさに彼が、サンシャインのようだった」とガンホさんの魅力を熱弁する。
ガンホさんの人間力に魅了されることも多かったそうで、是枝監督は「入ってきただけで、その場がパッと明るくなるような“陽”の人。あんなにレッドカーペットの投げキッスが似合う人もいないよね」と楽しそうに笑い、「お芝居に関しては、とてもストイックで緻密。ものすごく理論的です」と明かす。
是枝監督は「相当、基礎的な演技の鍛錬をされている方。僕が言葉のニュアンスまでをつかめていないということを前提に、自分から『もう一回やってみようか』とあらゆるお芝居をしてくれて、『このテイクだったら、こっちの方がふさわしいニュアンスだと思う。最終的な判断は監督に任せるから、比べてみてくれ』とアドバイスしてくれたり。とても頼もしい俳優」と感謝しきり。「今回は順撮りで撮影をしましたが、『結末を決めずに、旅をしながら最後を決めます』という形でクランクインして。着地を決めないでインするというのは、韓国では異例のことですが、みんな楽しんで取り組んでくれました。旅をしながら、ソン・ガンホといろいろなやり取りをして、彼の演じるサンヒョンを見て『この人はこうするだろうな』という結末にしました」とガンホさんの存在から、大いに刺激されたという。
児童養護施設出身で、捨てられることの痛みを知っている青年を演じたドンウォンさんについては、「寂しげな瞳がとてもいい」と是枝監督。「お酒を飲むと、いつもソン・ガンホから『お前は迷子になった子鹿のような目をしている』と言われていました(笑い)。彼は帰り道が分からなくなったような役柄を演じると、ものすごく魅力的。今回も背中の寂しい男を、非常によく演じてくれました」と称えながら、「普段のドンウォンは、お母さん思いの好青年。お酒を飲むソン・ガンホの隣で、彼のためにイカを割いている(笑い)。気遣いの人で、ソン・ガンホとの相性も最高でしたね」と大絶賛。
ベイビー・ブローカーを追う刑事を演じたぺ・ドゥナについても、是枝監督は「一番難しい役を見事に演じてくれた」と賛辞を送る。
「ぺ・ドゥナからは『日本語の台本がほしい』と言われました。日本語の台本に書かれた『……』という表現は、韓国語の台本にしたときにはなくなるので、『……』にはどんなニュアンスが含まれているのかと、4時間くらいかけて話し合って。彼女の演じた役の背景までが分かるようにしっかりと表現されたのは、間違いなくぺ・ドゥナの力」と作品に魂を注ぐドゥナさんに感服し、「もちろん言葉の壁はあるけれど、本作に出演してくれた俳優たちには、壁を感じなかった。言葉が通じるからといって、価値観が共有できるかと言ったら、決してそんなことはないわけで。大事なのは、言葉やいろいろなものを尽くして、この映画が目指している方向をみんなが共有して、いかにそれを探りながら進めていくかということ。海外であっても、日本であっても、こういったことが映画作りの醍醐味(だいごみ)」だと力強く語る。
是枝監督にとって初の国際共同製作(日仏合作)映画となった「真実」(2019年公開)では、ジュリエット・ビノシュさんとの「いつか一緒に映画を作ろう」という願いが実現。是枝監督が渡仏してフランス人キャストと一緒に映画を撮り上げた。そして今回も友情を深めた韓国俳優陣を日本に呼ぶのではなく、是枝監督が韓国映画にチャレンジする形で「ベイビー・ブローカー」を完成させた。
なぜこういった手法を取るのか? 是枝監督は「どうせなら」とにんまり。「(日本を舞台にしたソフィア・コッポラ監督作)『ロスト・イン・トランスレーション』が撮られて以降、いろいろな役者さんから『こういう原作があるんだけれど、日本で撮れないだろうか』というオファーがたくさん来た。でも正直、あまり魅力を感じなかった。それはやはり、海外の人たちがイメージした日本というものから抜け出していないから。それだったら言葉は分からないけれど、ちょっと頑張ってみて、彼らの生活圏内で映画を撮りたいなと思う。だって、作品の中に映るのは僕じゃなくて、役者たちだから。そこでは自分が監督であることがどれくらい意味を持つのかと考えるし、それが言語や文化を超えて残るものになるのか、残らないのか。残らなかったときには何がいけなかったのかと探っている最中。そういうやり方をしてこそ、監督って何だろうと考えられている気がしています」と日仏合作や韓国映画に挑戦した理由を語る。
韓国映画が、世界で大きな存在感を示している。海外の映画祭に参加すると、是枝監督は「日本の映画、特に実写映画は、そこまでの存在感を示せていない」とはっきりと感じるという。韓国映画のパワーの秘密について、こう分析する。
「1990年代には、(韓国の企業)CJグループやスタジオドラゴンのトップの人たちが、岩井俊二監督の映画など日本の映画に魅力を感じて、それを模倣していた。それが今やこちらがまねしないといけないくらいに、勢いが増している。ここ20年ほどの韓国映画界の変化には、複合的な理由があると思う。もともとマーケットが狭いから、制作側も役者側も海外志向が強いということ。そしてアメリカに留学して、帰って来た人たちが中心となって改革を進めたという流れもある。また韓国映画界は世代交代が早いので、監督も40代中心で、今作の現場のスタッフも20代、30代中心。僕は今、60歳になったけれど、韓国に行ったらもう引退の年齢だから。しっかりと若手を育てていて、だからこそエネルギーがある」
フランスと韓国の撮影現場を経験したことで、日本映画界の課題も見えたと続ける。「日本映画界で変えていかなければいけないことは、たくさんあります。日本アカデミー賞、東京国際映画祭、そして現場の労働改革。とにかく若い人が寝られて、ご飯が食べられて、ちゃんと暮らしていける状況を作らないといけない。今の日本映画の現場は離職率が高くて、若いスタッフが定着していかない」と吐露。危機感を持った是枝監督は、「映画監督有志の会」を立ち上げて労働環境改善などを目指している。すべての原動力となっているのは、「恩返ししたいから」だと照れくさそうに目尻を下げる。
「僕は恵まれた環境で映画を作り続けてこられた。本当に恵まれていただけで、一方ではやめていった人の姿もたくさん見てきたわけです。韓国では週休2日、週52時間という労働時間の上限が決まっていて、日本に戻ってきたときに、少しでも韓国の労働環境に近づけなければいけないと思った。『日本映画が韓国映画に負けないように』というナショナリズム以上に、このままの労働環境だと本当にまずいと思っている。僕はもう『お前らのせいでこうなった』と言われるようなポジションだし、年齢になったので。やれるだけのことはやりたいと思っています」と真摯(しんし)な思いを口にしていた。(取材・文:成田おり枝)
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