黒川文雄のサブカル黙示録:音楽が死んだ日 クリエーターの意識の変化

 音楽は生きていく上で必要ないけれど、あれば心が豊かになるもので、その価値は普遍のものだと思います。デバイスの発展とともに、音楽はいつでもどこでも簡単に手に入るようになり、その価値観は70~80年代と大きく変わりました。

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 最大の転換期は、レコード(ビニール盤)からCDというメディアの変化でしょう。それと80年代後半からの「有線放送」「貸しレコード」などのシステム面、「ウォークマン」という「移動しながら聞く」というデバイス面の変化もあったと思います。当然ながら、音楽の持つ価値観は、より日常性の濃いもの、カジュアルなものに大きく変わったのではないでしょうか。

 そして、00年代に入ると、インターネットの普及に伴い「音楽配信」という側面が加わります。そして違法コピーや共有ファイルの増加に合わせ、CDの購買、レンタルCDなど既存のステータスが終末の音をたてて壊れていきました。PCの急速な普及と大容量化、高速回線の登場、携帯電話機との兼用デバイスの進化などがその原因に挙げられると思います。

 価値観の変化は、環境の変化という考えもありますが、クリエーター側の意識の変化もないか……と考察をしてみました。ここでいうクリエーターとは「音楽を作る人」であり、「歌う人」であり、「表現する人」です。なぜこのような考察をしたかといえば、インターネットに掲載された松任谷由実さんと井上陽水さんの対談を読んだからです。詳しい記事は、ネットで検索いただければすぐ出てきますので、ぜひ探してください。

 そこでは、配信の時代に音楽には誰もお金を払わないのではないかという投げかけがあり、著作権は西洋の文化で絶対ではなく、そもそも音楽にお金を払うこと自体が間違ってたのかもしれない……と述べていました。

 その対談から私が感じたのは、その「西洋の文化」でお金を稼いで成功したクリエーターが、今になってそれを否定するのか……というやりきれない気持ちでした。後進や、今後の音楽という芸術の可能性を探ろうとしている未来の音楽家たちが、どう思ったのか聞いてみたいものです。

 音楽の価値観が変化したのは、そこに「訴えるべきメッセージがなくなったから」というのが私なりの回答です。時代が変化し、豊かになれば人々の求めるものは違うでしょう。かつて国民のすべてが「豊かになりたい」「幸せになりたい」と思っていた時代がありました。それは一億総中流という時代を経て、一見的な価値観は崩れ、現在は価値観が細分化されてしまいました。その中で、音楽が持っていたメッセージやパワーは無力化しました。一方で「時代を変えよう」というメッセージを真剣に訴えるクリエーターも見当たりません。「音楽が死んだ日」は、環境の変化でなく、作り手側の意識が変わったからといえるのでないでしょうか。

 著者プロフィル

 くろかわ・ふみお=1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』」(http://blog.livedoor.jp/kurokawa_fumio/)も更新中。

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