テレビ質問状:「WHO I AM」 パラリンピックドキュメンタリー第3回はシッティングバレーのボスニア代表選手

「パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM」のシッティングバレーボールのサフェト・アリバシッチ選手(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
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「パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM」のシッティングバレーボールのサフェト・アリバシッチ選手(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

 IPC(国際パラリンピック委員会)とWOWOWが共同で立ち上げたパラリンピックドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。リオパラリンピックが開催される2016年から、東京大会が開催される2020年まで5年にわたり、世界最高峰のパラアスリートたちに迫る大型スポーツドキュメンタリーシリーズだ。10月から第1シーズンとして、8人のパラアスリートに密着した放送がスタート。第3回は11月5日午後9時からシッティングバレーボールのサフェト・アリバシッチ選手(ボスニア・ヘルツェゴビナ)をフィーチャーした回がWOWOWプライムで放送される。番組プロデューサーを務めるWOWOW制作局制作部の太田慎也さんに番組の魅力を聞いた。

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 ――サフェト・アリバシッチ選手に注目した理由は?

 プロジェクト立ち上げ直後、数あるパラリンピック競技や世界中のトップ選手たちについて調べていた時、2000年のシドニー大会以降、東欧のボスニア・ヘルツェゴビナが夏季パラリンピックで毎大会1枚ずつメダルを獲得していることに気づきました。決して大国とはいえないボスニア唯一のメダル、それらはすべてシッティングバレーボールで獲得したものだったのです。深く調べると、ボスニア代表は、90年代に起きた紛争によって傷ついた兵士や、地雷でケガをした若者たちが多く所属するチームだと知ったと同時に、国もシッティングバレーボールを障害者の社会復帰の場として、バックアップしてきた様子も見えてきました。

 近年のボスニア躍進の中心メンバーであり、チーム不動のエースアタッカーが、サフェト・アリバシッチです。彼自身も12歳の時に地雷を踏んで左足かかとを失いました。社会情勢、国の歴史も密接に絡んだ彼の物語は、ぜひ伝えたいと思ったのです。

 ――サフェト・アリバシッチ選手との撮影中のエピソードは?

 今年春にサラエボに取材に行きましたが、アリバシッチ選手は9月のリオで悲願のパラリンピック初連覇に向け、ストイックな日々を送っていました。彼をはじめ、ボスニアにはシッティングバレーのプロ選手はいません。それぞれの選手が日ごろは社会で仕事をしながら、トレーニングを重ね、パラリンピックを目指しています。日本に暮らす私たちから見て、決して経済的な豊かさは感じられないかもしれませんが、彼らは紛争を経験し、シッティングバレーと出合ったことで、何度だって立ち上がる不屈の精神を培い、これまで本当に多くのものを得てきました。競技においても人生においても自信に満ちあふれ、家族やコーチの支えを得て、さらなる高みを目指しています。アリバシッチ選手もまさにそうでした。誰の目にも群を抜いて映る強烈なアタックとは裏腹に、口数も少なく、どこか朴訥(ぼくとつ)とした彼の魅力は、番組をご覧いただければお分かりいただけるかと思います。

 ――視聴者へ見どころを一言。

 ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、元サッカー日本代表のオシム監督の母国でもあります。紛争や悲しい歴史を背負った国という印象が強いかもしれませんが、人々はユーモアにあふれ、自然豊かで本当にすてきな国です。

 ボスニアの人気スポーツであるシッティングバレーの代表チームは、9月のリオパラリンピックでの連覇に向けて相当ハードなトレーニングや合宿を重ねていました。過去数大会、金メダルと銀メダルを交互に獲得してきた因縁のライバル、イラン打倒に燃えていました。

 しかし、一方のイランも、ボスニアを王座から引きずり下ろすべく、秘密兵器を用意していたのです。番組では、アリバシッチ選手の日常生活から、ボスニア代表の強化合宿、そして運命のリオパラリンピックまでを完全取材しました。スポーツドキュメンタリーでありながら、国の歴史背景も見えてくる、そんな番組になっていますので、ぜひご覧いただけたらうれしいです。そして、4年後には東京の地にやってくるだろう彼らの魅力にも触れていただければと思います。

 また、この場をお借りして、アリバシッチ選手やご家族をはじめ、取材に協力してくださったすべての方々に、お礼を申し上げたいと思います。

 WOWOW 制作局制作部 プロデューサー 太田慎也

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