黒川文雄のサブカル黙示録:音楽市場の栄枯盛衰 若者よ、目指せ約束の地を!

 もしあなたが明確な夢を持っているならば、思う存分努力して、それを目指すべきだと伝えたい。誰にも希望があり、自己実現のために生きる時間は美しい。かくいう自分も音楽の仕事で生きていきたいと思ったほど音楽が好きだった。最初の会社は音楽を作る会社で、一生音楽とかかわりをもって生きていきたいと思っていたこともあった。

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 その音楽が娯楽の王道だったのは70年代から90年代までだった。地域の民謡や国民唱歌から、流行歌や演歌が生まれ、途中、洋楽の影響を受けて英語を使った歌詞がニューミュージック・シーンに継承され、その後、コンピューターによる打ち込みを多用したものが生まれ、音楽の近代化と消費、消耗が促進した。

 それは一方では情報伝達の高速化による部分も大きい。かつては情報を流通する手段は新聞や雑誌しかなく、その後テレビの普及で新たな情報の流通が始まったが、均質化された情報が部分的に流通するにとどまった。

 だが、90年代に音楽産業がピークを迎え、消費型の音楽が大量生産され、00年に入るとインターネットの普及と合わせて違法コピーが蔓延(まんえん)した。時代が変わったのは02年ごろのCCCD(コピーコントロールCD)のリリースだろう。03年には米アップルの音楽再生・管理ソフト「iTunes」の発表が行われ、ダウンロード方式の音楽流通の萌芽(ほうが)となった。

 従来の「保有する音楽」から「消費する音楽」に変化した。かつてはパッケージを所有し、音楽というものを有形無形をともに保有するという価値観が存在したが、それは情報がある種の情報過疎社会だからこそ成り立った個人の価値観だった。今や情報は均一化する一方、情報格差も起こり、大きなうねりとなって人々の間をかけめぐる。

 既に音楽は趣味や娯楽ではなく、消費へと変化をし、産業として大きな基盤を築くことのできるスケールを維持できなくなった。だが音楽の持つ素晴らしさは時代とともに変化していることは事実。そして音楽の持つメッセージ性も変化している。

 ゲーム(=コンテンツ)が最近元気がないといわれることが多くなったが、それはあくまでもパーソナルな世界でのメディアとしての評価にすぎない。ゆえにコミュニティー要素や観戦要素を盛り込んだゲームに人々は集まる。韓国では当たり前のようにオンラインゲームに競技的要素や観戦要素などが組み込まれたように、音楽シーンにおいても新しい視点での発想が必要だ。

 音楽に限らずゲームや映画など「市場が縮小した」ということが声高に叫ばれるが、それは市場が微細分化されただけのことだ。その分チャンスの幅は広がっている。アイデア一つでベンチャー企業が台頭するように、コネやカネが左右した以前の市場とは異なるものがそこにある。夢と希望にあふれた者たちよ。目指せ、自分たちの約束の地を!

 ◇著者プロフィル

くろかわ・ふみお=1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、映画・映像ビジネス、ゲームソフトビジネス、オンラインコンテンツ、そしてカードゲームビジネスなどエンターテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。ブログ「黒川文雄の『帰ってきた!大江戸デジタル走査線』」(http://blog.livedoor.jp/kurokawa_fumio/)も更新中。

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