朗読少女:乙葉しおりの本の小道 第65回 石川啄木「一握の砂」

「一握の砂・悲しき玩具−石川啄木歌集」作・石川啄木(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん
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「一握の砂・悲しき玩具−石川啄木歌集」作・石川啄木(新潮文庫)の表紙(左)と乙葉しおりさん

 美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが名作を紹介する「乙葉しおりの本の小道」。第65回の石川啄木の「一握の砂」だ。

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 皆さんこんにちは、乙葉しおりです。 

 春一番!と言えば春の訪れを告げる強い風で、例年2月から3月ごろに発生するんですけど、今年の関東地方ではそれが観測されていなかったそうです。

 先日吹き荒れた大風は遅い春一番だったのかもしれませんが、どちらかというと台風みたいでしたよね(>_<)

 ケガをされてしまった方や、お気に入りの傘が壊れてしまった人など、お見舞い申し上げます。

 さて4月11日は、詩人の金子みすゞさんのお誕生日です。

 「こだまでしょうか」「大漁」「私と小鳥と鈴と」などの詩で有名ですが、生前はその才能を称賛されながらも夫から詩の投稿を禁じられるなど不遇の生涯を送りました。

 続いて4月13日は、歌人・石川啄木さんのご命日、「啄木忌(たくぼくき)」です。

 1912年、病のために26歳の若さでこの世を去られてから、今年でちょうど100年。

 当コーナーでも、この後、石川啄木さんの作品をご紹介させていただきたいと思います。

 最後に4月14日は、アン・サリバンさんのお誕生日です。

 1866年にアメリカのマサチューセッツ州で生まれたアンさんは、20歳のときにヘレン・ケラーさんと出会い、三重苦を背負った彼女に「言葉」を教え、やがて「奇跡の人」と呼ばれるようになりました。

 以降ヘレンさんとは生涯を通じ、師として、また良き友人として関わりを持ち続けたそうです。

 ではここで、朗読倶楽部のお話……今回は、朗読倶楽部とある女の子との出会いのエピソードです。

 私が初めて彼女と出会ったのは、私が1年生のとき、2学期が始まった頃です。

 その頃の朗読倶楽部は実績作りのために頑張っていて、大会を控えて特に練習に時間を割いていました。

 ある日の放課後、私が倶楽部活動のために部室へ向かう途中、図書館の入り口にランドセルを背負った女の子がいるのを見かけたんです。

 私たちが通う学校の初等部は制服があるので、私服姿の彼女は別の学校から来たんだなってすぐに分かりました。

 何かを探しているようなそぶりを見て、他校の生徒がわざわざ本を探しに来てくれたんだと思った私は、なんだか少しうれしくなって、彼女に声をかけてみたのです。

 小麦色に焼けた肌の活発そうなその子は、「本を探しに来たのではなく、朗読倶楽部を訪ねて来た」と言います。

 それを聞いてますますうれしくなった私は、自分が朗読倶楽部のメンバーであることを伝えたのですが……。

 次の瞬間、彼女の様子が見る見る不機嫌になっていくではありませんか!?

 思えば、どうして彼女が「朗読倶楽部」のことを知っていたのか、この時点で彼女の名前も知らなかった私には、分かるはずもなかったのです……。

 ……と、いうところで、今回はここまで。

 まだお話は続きますので、次回もよろしくお願いしますね(*^^*)

■しおりの本の小道 石川啄木「一握の砂」

 こんにちは、今回ご紹介する1冊は、石川啄木(たくぼく)さんの歌集「一握(いちあく)の砂」です。

 石川啄木さん初の歌集となる本作品は、一首を三行でまとめる「三行分け」と呼ばれるスタイルが特徴で、後の詩人・歌人にも大きな影響を与えました。

 あの宮沢賢治さんが詩作を始めたのも、本作品との出合いがきっかけだったと言われているんですよ。

 題名の「一握の砂」は、手に握り締めた砂が指の隙間からこぼれ落ちていくさまを表していますが、転じて、こぼれる砂のように無常に流れる時間と、共に押し流されていく作者の不遇な生き様の記録という意味があります。

 本作品は石川啄木さんが上京した1908年から、足掛け3年にわたって詠まれた551首を全5編に分けて構成したもので、1910年の暮れに発表されました。

 ・第1編「我を愛する歌」    151首

 ・第2編「煙」         101首

 ・第3編「秋風のこころよさに」  51首

 ・第4編「忘れがたき人人」   133首

 ・第5編「手套を脱ぐ時」    115首

  ※手套(しゅとう)とは、手袋のことです。

 第1編が現在(1908年以降)の心境、第2編から第4編にかけて故郷の岩手県渋民村や奥様の実家がある盛岡、そして北海道での教員時代への追憶、そして第5編では再び現在に戻り、最後の8首は1910年10月に亡くなられた長男への哀悼の歌となっています。

 漢字にルビを振り、分かりやすい言葉を使って詠まれた歌の数々は、「一握の砂」のもうひとつの特徴と言えるものなのですが、それはこの短歌に大きな共感を覚える労働者階級の人々に向けた配慮であろうことは、想像に難くないのではないでしょうか。

 最後に、「一握の砂」の中で特に有名な詩を二つご紹介します。

 短い言葉の中に込められた意味を想像してみると、より短歌を楽しめるのではないでしょうか。

 東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

 蟹(かに)とたはむる

 はたらけど

 はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり

 ぢっと手を見る

 ※本コラムをしおりさんが朗読する「乙葉しおりの朗読倶楽部」がiPhoneアプリ「朗読少女」のコンテンツとして有料配信しています。

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