麒麟がくる:光秀と信長の「不思議な友情物語」終幕 「太平記」から30年…脚本・池端俊策「歴史は繰り返す」

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回のワンシーン (C)NHK
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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回のワンシーン (C)NHK

 俳優の長谷川博己さんが主演を務めるNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(総合、日曜午後8時ほか)最終回(第44回)「本能寺の変」が2月7日に放送され、光秀(長谷川さん)と信長(染谷将太さん)の「不思議な友情物語」が終幕した。脚本を手掛けた池端俊策さんは、「光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです」と位置づけると、「ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても『やった!』という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」と振り返った。

 ◇「太平記」と「麒麟がくる」で似たような人物を描いたなという実感

 池端さんは今から約30年前、1991年に放送された大河ドラマ「太平記」の脚本家としても知られる。「前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之さん)のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとのはざまで何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました」としみじみと語る。

 また、「物語の後半は、一人一人の心理の葛藤が、書いていて面白かったです」といい、「もちろん、それぞれ個性的な登場人物だったということもありますが、緊張感を強いられる中で人間を見つめるという作業はこのドラマの中でできたかなと思っています」と一定の手応えを明かした。

 ◇光秀は僕だと思って書いていました

 長谷川さんが演じた主人公・光秀への思いも聞いた。「光秀は僕だと思って書いていました。そこに、長谷川さんが見事に入り込んでくれたなと思います。光秀は相手が言ったこと、行動したことに反応する“受ける芝居”が多くて、脚本も『……』となっていることが多いです。解釈の仕方や受け止め方、大げさに反応したらいいのか、ちらっとまばたきをする程度の反応なのか、大変難しい役だったかと思います。僕は光秀が長谷川博己さんで大正解だったと思っています」と感心する。

 さらに「光秀は真っすぐな人間です。光秀と道三(本木雅弘さん)との関係もそうでしたが、相手をどんどん倒していく野性的な道三に、光秀が振り回されてしまうことが多いんです」と光秀のことを理解する池端さんは、「信長も道三と同じように、天才肌ですし、感覚的に動く人間です。ですが、母親が愛してくれず、母親が愛した弟の信勝を暗殺するという、屈折した部分もあります。その信長を危なっかしいと思いつつ、この人の行動力があれば世の中を統一できるんじゃないか、戦乱の世を終わらせられるのではないかと思い、一種の友情関係を維持して一緒にやっていくわけですよね。しかし、最後はこの人の元では平和な世はこないと、その信長を殺さざるを得なくなるという、非常に悲しい運命になるので、そういう光秀のつらい気持ちを描きました」と告白。

 信長のことを「確かに信長みたいな人とつきあっていくのはしんどいですが、面白い人なんですよね」と擁護すると、「可愛らしいところもあるので、憎めないんです。信長役の染谷さんがとても魅力的でしたね。染谷さんが憎めない信長をうまくやってくださいました。信長は書いていても楽しかったです」と話した。

 ◇本質的に暗い戦国時代も「夢の部分を書くことで弾んだものに」

 最後に「『麒麟がくる』は、どの人物も針を大きく振るといいますか、中途半端に描かないようにしていました」という池端さん。

 「人物が生き生きとしているような描き方は、戦国時代を書く一つの考え方だろうなと思っていました。戦国時代は戦いばかりで、人を疑い、毒殺し、親兄弟も骨肉の争いがあり、本質的には暗い時代だったと思うんです。でもやはりドラマとしては、そういった人間が何を目指したのかという、夢の部分を書くことで弾んだものにしたかったんです」と思いを込めた。

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