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解説:「べらぼう」で目を見張る活躍&決めぜりふ 長谷川平蔵は史実でもドヤってた! 記録に残る“名言”とは

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第6回の場面カット 中村隼人さん演じる長谷川平蔵宣以 (C)NHK

 俳優の横浜流星さん主演のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(総合、日曜午後8時ほか)の第6回(2月9日放送)では、中村隼人さん演じる長谷川平蔵宣以(以下、平蔵)が見違えるほどカッコよくなって、蔦屋重三郎(横浜さん)の前に現れた。蔦重にカモられ、親の遺産を使い果たした平蔵であったが、今度は「節用集」の偽版を摺っていた証拠を見つけるため鱗形屋に乗り込み、蔦重も目を見張る活躍を見せた。

 放蕩の限りを尽くした平蔵と、立ち居振る舞いが凜々しい平蔵。まるで二重人格のようであるが、西の丸書院番士として江戸城に勤務してからの史実の平蔵は、その経歴からプロファイリングすると、イケメンで身のこなしがサマになっていたであろうことが想像できる。

 ◇容姿端麗が条件だった役職に抜てき そつのない身のこなし

 平蔵は書院番士に採用された翌年の1775年、30歳で進物番を兼務した。進物番とは、大名家から江戸城に届けられた献上品を収受し管理する仕事。また、城中で能楽が開催されるときは、居並ぶVIPの前で舞台設営を華麗に仕上げていくさまを見せるので、容姿端麗、立ち居振る舞いも立派でなければ務まらない。書院番士の中から進物番に選ばれるのは10人に1人の割合だったから、史実の平蔵はかなりカッコよかったと推測される。

 平蔵が生きていた時代、旗本は約5200人いたが、その40%ほどが無職だった。就活に成功しても競争が続く。書院番士はエリートコースの出発点だけに大変だった。ある新入りの西の丸書院番士が上司に引き立てられたが、これを快く思わない先輩や同僚がいじめを繰り返した。いじめられていた番士がついに刃を振るい同僚3人を職場で殺害、2人に重軽傷を負わせる事件があった。平蔵死去から28年後、1823年のことだ。

 こんなことにならないように先輩の顔を立て、周囲に煙たがられないことも大切だった。新しい職場では先輩たちを接待する“歓迎会”を開き、宿直勤務のときは豪華弁当を用意して先輩をもてなすこともあったらしい。そつなく立ち回る社交術も必須の素養だったろう。

 「べらぼう」第6回では、鱗形屋に捜査の手が伸びていることを知っていた蔦重は、孫兵衛(片岡愛之助さん)が捕縛されれば「自分が取って代われる」と期待していたと告白。平蔵は「武家なんて席取り争いばかりやってるぜ。出し抜いたり追い落としたり。気にすることじゃねえよ。世の中そんなもんだ」と達観したように語るが、職場での気苦労がにじみ出ているようだ。

 「べらぼう」の平蔵は、書院番での仕事について「これが性に合わんでな。奉行所にでも移れねえかって顔を売ってんだ」と蔦重に明かしたが、史実の平蔵は11年間、書院番に勤務した。火付盗賊改方(火盗改)になってからは町奉行を出し抜く活躍をする。

 ◇町奉行所も恐れ入る行動力 にらまれると怖い

 播磨屋吉右衛門というヤクザの親分がいた。吉右衛門は上野一帯の私娼の元締めでもあり、悪評が絶えなかった。しかも吉右衛門は、北町奉行所の事件捜査を手伝う目明かしの頭領も務めていた。裏社会ににらみを利かせているから、どんな凶悪犯でも見つけ出すことができた。このため、町奉行所は吉右衛門の悪行には目をつぶっていた。

 ある日、平蔵は一人で播磨屋に乗り込んだ。平蔵は「手間は取らせねえ」と吉右衛門を外に連れ出すと、「お縄にする」と言って捕縛。吉右衛門の子分たちが飛び出してきたが、平蔵ににらまれ足がすくんだ。江戸市中では「町奉行所の役人が播磨屋に抱き込まれているのに業を煮やした長谷川様が、町奉行の鼻を明かした」と評判になった。

 余談だが、テレビシリーズ「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)で平蔵を演じた故・中村吉右衛門さんの屋号は播磨屋。史実の平蔵に捕らえられた播磨屋吉右衛門はもちろん歌舞伎とは何の関係もないが、因縁めいている。

 火盗改は所得が1500石の役職なのに対し、町奉行は3000石の役職で格上。しかし平蔵の人気は町奉行をしのぐようになった。「町奉行はいつも平蔵に先を越されているから、今では何をやるにしても町奉行は平蔵に相談している」という風評も立った。

 「べらぼう」第6回で、町奉行所の役人を待機させ、鱗形屋に単身乗り込んだ平蔵が「あったぞ! 偽版だ」と叫ぶ威風堂々とした姿は、後に町奉行の鼻を明かした史実の平蔵を彷彿(ほうふつ)とさせるシーンでもあった。

 極めつけは、鱗形屋孫兵衛が町奉行所に連行された後、版元への道が開けた蔦重に、平蔵が粟餅の包みを差し出すシーン。「濡れ手に粟餅。『濡れ手に粟』と『棚からぼた餅』を一緒にしてみたぜ。とびきりうまい話に恵まれたってことさ。おめえにぴったりだろ」「せいぜいありがたく頂いておけ。それが粟餅を落としたやつへの手向けってもんだぜ」と言うと、自分の決めぜりふに“どうだ”と言わんばかりの満足げな表情を見せた。

 決めぜりふに酔いしれる、記録に残る平蔵の“名言”を一つ紹介しよう。父の平蔵宣雄が京都西町奉行として在職中の1773年に急死し、奉行所の役人たちが江戸へ帰る平蔵の送別会を開いた。そこで平蔵はこうあいさつした。「私は将来、(父の名前を継いで)長谷川平蔵を名乗り、当世の英傑と賞賛されることになるはずです。江戸に来る機会があったら必ず、有名になった私の家へ訪ねてください」。自分を奮い立たせるような大言壮語ぶりに一同は目を丸くしたという。(文・小松健一)

 ◇プロフィル

 小松健一(こまつ・けんいち) 1958年大阪市生まれ。1983年毎日新聞社入社。大阪・東京社会部で事件、行政などを担当。その後、バンコク支局長、夕刊編集部長、北米総局長、編集委員を歴任し、2022年退社。編集委員当時、時代小説「鬼平犯科帳」(池波正太郎著、文春文庫)の世界と、史実の長谷川平蔵や江戸の武家社会を重ね合わせた連載記事「鬼平を歩く」を1年以上にわたり執筆。それをベースに「『鬼平犯科帳』から見える東京21世紀〜古地図片手に記者が行く」(CCCメディアハウス)を出版した。現在は読売・日本テレビ文化センターで鬼平犯科帳から江戸を学ぶ講座の講師を務めている。

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