山田裕貴:「本当の歴史なんて分かる訳ではない」 自分の信じる“本多忠勝”貫いた 「どうする家康」インタビュー

NHK大河ドラマ「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生」の一場面(C)NHK
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NHK大河ドラマ「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生」の一場面(C)NHK

 NHK大河ドラマどうする家康」(総合、日曜午後8時ほか)の第44回「徳川幕府誕生」が11月19日に放送され、山田裕貴さん演じる本多忠勝が“退場”した。生涯57戦無傷といわれ「戦国最強」とも称される忠勝をどのように捉え、演じてきたのか話を聞いた。

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 ◇肖像画から「ものすごく繊細な人」と感じた

 役作りにあたり、忠勝の肖像画にも描かれている「鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)」や甲冑(かっちゅう)に付けている大きな数珠から、忠勝の人物像を想像したという山田さん。

 「ものすごく繊細で、いろいろな思いを受け止めて戦う人だったんじゃないかと僕は感じました。忠勝の兜に鹿の角が付いているのは戦で逃走中に鹿に導いてもらい、それから鹿を守り神と思っていたから。数珠を付けているのは、“戦で失った味方も、自分が倒した敵も全部背負って戦う”という意味合いらしく、助けてもらったものなどに対して、ものすごく敬意を持っていたんじゃないかというのを、兜や数珠から感じました」

 第1回から忠勝を演じてきたが「繊細な一面のある人」ということを念頭に置いていた。

 「はじめは猛将と呼ばれる人ですし、涙なんて流すものかと思っていたのですが、そこまで繊細な感覚を持っているのなら誰かのために涙を流せるのでは、と。後は、カメラが自分に向いていないときも。殿(徳川家康、松本潤さん)を見つめる目にはめちゃくちゃこだわっていました。シーンによって向けていた思いはさまざまですが、瀬名さん(有村架純さん)が死んでしまったときは“殿が悲しいということが悲しい”と思いながら見つめていました」

 “殿への目線”は自発的に演じていた。忠勝に思いをはせ、“忠勝ならこの場面にどのような思いでいるのか”ということを常に意識してきた。山田さんはそれを「役を生きる」と表現し、俳優業で大切にしていることだという。そんな「役を生きる」という思いが生み出したセリフもあった。第1回の最後、家臣団が家康に「どうする!?」と詰め寄る場面で、忠勝が家康に「(主君と)俺は認めぬ」と言い放ち、インパクトを残したが、このセリフは山田さんのアドリブだったという。

 「あのシーンは、台本には『……』としかなかったんです。でもカットがかからなかったので、思わず口に出したんですよ。何の計算もなく言ってしまったセリフだったのですが、それが採用されました。でも、こういうときに“自分は役を生きている”と思えます。台本通りのことをやるまでは“お芝居をしている”という感じなのですが、そんな台本を超えられた瞬間があると、自分が一番大切にしていることがようやくできたと手応えを感じます」

 ◇「選ばれた理由が分からなかった」忠勝役 「やる意味を見い出せた」エピソード 

 これまでの大河ドラマでは、宍戸錠さんや藤岡弘、さんらが演じてきた本多忠勝。「戦国最強」というイメージもあったため、「最初は僕が選ばれた理由が分からなかった」とオファーがあった際の心境を吐露する。

 だが、クランクイン前に勉強のため岡崎城に行った際、案内してくれた方から聞いたエピソードでそんな心境が“一変”したという。

 「『実は忠勝の肖像画って本人が8回描き直させているんです。だから、もしかしたら山田さんみたいにスラっとした人だったかも知れませんね』と言ってくださって。そのとき、自分が忠勝役をやる意味を見い出すことができたんです」

 そして、当初は「戦国最強だから涙なんて流さない」というイメージを持っていたように、先入観だけで歴史を見ることには慎重になるべきだと自戒した。

 「戦国時代にしても、生きている人はいないので“本当の歴史”なんて分かる訳ではないじゃないですか。歴史上の人物がどういう人かなんて、その人に直接相対しないと分からない。なので歴史上の人物を決めつけで見るのはやめようと」

 徳川家康らの生涯を新たな視点で描いている今作だが「『どうする家康』ではこういう解釈ですよって楽しんでもらうのがドラマだと思う。それこそドラマをやる意義でもあると思います」と力を込めた。

 約1年半に及んだ撮影を終えた心境を聞くと「撮影期間が長い作品はこれまでも何回かやったことがあるので、そこに難しさはあまり感じませんでした」と述べつつ、「でも『どうする家康』の撮影を行いながら並行して、ほかの作品の仕事も行ってきたので、そこに対しての難しさは感じました」と語った。

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